ノートを通して自己対話を始めた結果。

私が感じたことや気付いたこと、思っていることなど、”心”をメインテーマに色々と。

「好き」に関するあらゆる勘違いを紐解いていく。

前回の続き。

doubt-your-thoughts.hatenablog.jp

なんとなく好きかもと感じることや、セッションを受けて好きらしきものが見付かるのですが、やっても継続性が無い・・・

ということを何度も何度も繰り返している訳です。

もう、これは病気と言っても良いのではないかという話をしました。

 

「好き」って、すごく小さな時から知っている言葉なんですけど。

実は奥が深いし、感覚的過ぎたりだとか、好きに関する情報を取りすぎて、分かるようで分からなくなっている・・・という感覚です。

 

私の場合、ラーメンの人と言われるくらいラーメンが好きで、特に山岡家が大好きですけど。

(山岡家のカップ麺が発売されたという情報が٩(>ω<*)و)

・・・という、シンプルな好きもあれば。

一方で、自分のライフワークにもなり得るような好き・・・つまり好きなことという意味での好きもあるわけです。

 

特に後者に関しては、世の中に色んな情報が出ているお陰で、私は好きなことというのが分からないとなりがちだと思うんです。

ライフワーク的なのは、「何が何でも好き」「寝食忘れるくらい好き」「好きすぎて常にモチベーションを維持できる」みたいなものだとついつい思ってしまっていて。

これって、ものすごく好きに対してのハードルが高すぎますよねw

 

つまり。

対象によって好きのハードルがバラバラ過ぎるんですね。

ライフワーク的なのも、いずれは「趣味が高じて」的なものに成長いくのでしょうけど。

そもそものキッカケが、最初から情熱に溢れているものではないはずなんですよね。

 

生まれたときからラーメンが好きだったわけでもなく、ある日初めて食べたラーメンが思いのほか気に入って、何度も食べるうちに好物になったみたいな。

 

ライフワーク的なものも、最初は興味があるというものすごくライトな好きで良いはずなんですよね・・・。

そう考えると、私がノートを何だかんだで毎日書いていることも。

もっと前の心理学やセラピー、ヒーリングなどを学んでいたことも。

結局、自分という一番近い存在がよく分からないから、知りたいという想いが根底にあったんだろうなと思うのです。

自分を知る、自己理解というやつですね。

 

そうやって一つずつ丁寧に見ていくと。

他のこともやってみたけれど、長続きはしなかったんですよね。

自己理解関係は、カタチや手法は違えど、大きな枠で見たら続いていると言えば続いています。

 

ただ。

自己理解の手法、手段、メソッド自体に興味が全くないわけではないけれど。

それらを突き詰めるというよりも、「自分を知るためには?」を念頭に置いておかないと、迷子になってしまうんだと思います。

目的と手段をはき違えてはいけないみたいな感じですね。

 

 

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