シュレディンガーの猫に学ぶ「疑いながらでも現実が変わる」量子的思考。

多くの引き寄せの法則や現実創造の世界では、「100%純粋に信じなければ現実は変わらない」「心の中に少しでも疑いやノイズがあると叶わない」という定説が語られがちです。
しかし、認識の檻の中にいる状態から、いきなり100%の純粋さで新しい設定を信じ込むのは、人間の脳の仕組みとして不可能です。
この「完璧に信じなければならない」という前提のせいで、「やっぱり疑ってしまう自分には無理だ」と挫折してしまう人は少なくありません。

結論から言うと、最初から信じる必要は一切ありません。
「信じられなくても、疑いながらでも、ただ数を打てばシステム上勝手に確信に書き換わる」というのが、量子力学の仕様から導き出せる量子的思考だからです。

観測が現実の見え方を決定づける

量子力学における有名な思考実験「シュレディンガーの猫」は、箱を開けて観測するまでは「生きている猫」と「死んでいる猫」の状態がどちらも重なり合っている、と説明します。
ここで大切なのは、「生か死か」という結果そのものではありません。
「箱を開けて観測するまでは、どちらとも決まっていない(確定していない)」という事実です。

観測される前の量子は、特定の場所に固定された「粒子(決まった現実)」ではなく、どこにでも存在し得るし、何にでもなれる「波(確率の雲)」として存在しています。
これは仏教で言う「空(くう)」であり、制限のない5次元の可能性そのものです。 これを日常に当てはめて考えてみます。

  • データ(事実): 多くの人は「目の前の不快な現実」や「退屈な日常」が、ガチガチに固定されたものとしてそこに存在していると錯覚しがちです。
  • ワラント(論拠): しかし、量子的思考で見れば、あなたが「これは最悪な現実だ」と観測(ラベル貼り)を確定させる前の世界は、ジャッジされていないただの出来事でしかありません。これこそが、仏教で言う「空(くう)」であり、制限のない5次元の可能性そのものです。

目の前の現実に対して、あなたの観測(捉え方・設定)をほんの少し変えるだけで、認識によって捉える現実は全く別の見え方になります。
世界は最初から決まっているのではなく、あなたの観測によってその見え方が決まるのです。

二重スリット実験が証明する「数打ちゃ当たる」の真実

「そうは言っても、数をこなすなんて根性論ではないか」「意識高い系のスパルタ精神だ」と感じるかもしれません。
しかし、量子的思考における「数をこなす」とは、努力や根性とは無関係の、単なる物理システムの仕様です。

量子力学の「二重スリット実験」を例に挙げます。
感情も意志も持たない電子を、スリット(隙間)に向かって放つ実験です。 電子を1発だけ放った段階では、スクリーンにはただのランダムな点が1つつくだけです。
この時点では、どこに着地するかも完全に確率の雲の中であり、「本当にここから規則正しい模様が現れるのか?」と疑わしく見えます。
これは、1、2回新しい設定を取り入れてみたり大喜利的な捉え直しをしたりしても、現実が何も変わっていないように見えて不安になる状態と同じです。

しかし、実験では、その電子を何万回、何百万回と淡々と打ち込み続けます。 すると、1発ごとの着地はランダム(疑いの状態)であるにもかかわらず、数を重ねることで、最終的にはスクリーンにクッキリとした美しい「干渉縞(縞模様)」が自動的に浮かび上がります。
これは「数打ちゃ当たる」という表現の通り、1発ごとの純粋さやクオリティに関係なく、ただ「数を重ねることで、システム上確実な模様として収束していく」という仕様を示しています。

確信したからやるのではない、やるから確信に変わる

一般的なアプローチは「確信に変わってから行動する」という順序ですが、因果関係は完全に逆です。

  • 従来の常識: 100%信じる(確信) → 現実が変わる
  • 量子的思考: 疑いながらでも数をこなす → 脳内システムによって確信に書き換わらざるを得なくなる

意識の大喜利や設定変更を始めた当初は、脳の生存本能(エゴ)が「そんなの嘘でしょ」「現実を見てみろ」と反発し、違和感や疑いしか湧かないのが正常な反応です。
そこで完璧な書き換えを求めて立ち止まる必要はありません。
疑いながらでも、ただ淡々と新しい観測をし続ける、つまり粒子を打ち込み続けることです。

数をこなしていくうちに、脳内システムは「これだけ同じ観測データが上がってくるということは、こちらが新しい現実の仕様(干渉縞)なのだな」と判断し、後から確信へと書き換わっていきます。
信じられなくても構いません。

ただ「数打ちゃ当たる」という物理システムを信頼して、淡々と観測し続けること。
それこそが、認識の檻をすり抜ける、最も心理的ハードルの低い現実の変え方なのかもしれません。

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意識の大喜利で「認識の檻」から抜け出す方法。

意識の解説を読むと、ど定番の例えがあります。 
それは、「現実という映画を、客席からスクリーンで見ている観客の視点になりましょう」というものです。

確かに客観視するという意味では正解なのですが、この例えを聞いて「分かるようで分からない」と私は思ってしまいました。
「客席から見るのは分かったけれど、じゃあ、この目の前の重くて不快な現実にどうやって対応するの?」という、肝心な現実創造への繋ぎ方が見えてこないのです。

そこで今回は、意識と認識の関係を分析し、このモヤモヤを解消した私の考えをまとめていきます。

私たちが陥りがちな二つの罠

私たちは普段、ノートの設定変更などで認識を変えようとしても、目の前の現実に引っ張られて「やっぱり無理だ」と檻の中に引き戻されがちです。
よく、「私は豊かだ」と設定変更をしようとしても、現実は貯金が無かったり毎月の支払いに不安を感じているなどお金に困っている状況であれば、豊かだと思いたくても自分を納得させることは難しいです。
これが「認識の檻」の罠です。

逆に、「意識は自由だから何でもあり」と現実を100%無視して理想の世界に浸ろうとするのは、ただの空想であり現実逃避の罠です。
現実を見つつ、意識を使う。
この二つを両立させるために閃いたのが、「意識の大喜利」というモデルです。

現実をお題にする「意識の大喜利」

大喜利のシステムを考えてみてください。 
現実(認識)は、自分ではコントロールできない「お題(素材)」です。
そして意識は、そのお題に対してどういう回答を出すかを決める「回答席」です。

もう少し具体的に説明すると、ここで言う意識は「パワーか、フォースか」で定義される、「空」の状態、すなわち、「なんにでもなれる自分」です。
一方で、認識とは自分が今の現実と捉えたものであり、意識で捉えると認識とは異なる捉え方も可能になります。

大喜利の写真のお題のように、写っている人は取り巻く状況や感情、思考、五感で感じているものがあります。
しかし、回答者はそれを一切考慮せず、好き勝手に面白く言います。
つまり、意識の大喜利とは、「自分の現実に対し、意識の視点で大喜利のように違う捉え方をする」ということです。

どんなに意地悪で不快なお題を出されても、一瞬で自分がおいしくなるオチをつけて笑いに変えてしまう大喜利の芸人さんのように、私たちの脳内システムから抜け出す3大ポイントを解説します。

ポイント①:不快や嫌な記憶を「最高の前振り」として受け入れる

世間の多くの人は、嫌な記憶や不快な出来事というデータが出た瞬間に「これがあるから私はダメんだ」「消さなきゃ」と抗います。 
しかし、大喜利のシステム上、お題を拒絶したらそもそも回答は生まれないので、まずは現状を受け入れます。
不快な出来事は自分を攻撃する敵ではなく、次に自分が貼る最高のオチを100倍引き立たせるために世界が用意してくれた前振りである、という前提を作ってしまうのが最初のポイントです。

ポイント②:「なぜ?どうして?」という原因分析のノイズをなくす

脳の生存本能は、不快に対して「なぜあの時あんなことが起きたのか?」「どうやったら解決するか?」と、原因を探り始めます。 
しかし、大喜利をするときに、お題に対して「なぜこのお題が出されたのだろう?」と悩む芸人はいません。
原因分析というノイズをなくし、過去の因果関係を断ち切り、内容の深刻さについては一切考えないようにします。

ポイント③:最上流から「現在の自分の在り方(Being)」を褒めちぎるオチをパチッと貼る

お題を受け入れ、無駄な思考を引き算したら、最後は最上流のラベル(フリップ)を新しく確定させるステップです。
ここでの最大のポイントは、過去や他人を変えようとするのではなく、「その不快や記憶を流せている、面白がれている今の私はすごい」と、自分の在り方の進化や豊かさを証明するオチに強制着地させることです。
これは、引き寄せで言われる「なりきりメソッド」であり、コーチングの「在り方」と同義です。

認識の檻の中で、なりきってみたり、在り方を変えようとしても現実に引き戻されがちです。
しかし、意識という視点でやってみることで、「現実を変えるためになりきる」という虚しさから解放され、意識の自由を思い出すことができます。

お題という現実を直視した先にある「真の自由」

現実を無視して理想を言うのはただの現実逃避であり、現実に飲み込まれ何も言えないのは認識の檻です。
現実という変えられないお題を100%直視した上で、「じゃあ、この状況をどう面白く捉えるか?」と意識の視点から回答を出すことこそが、本当の意味での「真の自由」です。

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Kの心の景色を紡ぐ、今月のつぶやき(2026.6)

「情熱と時間をかけて自分と向き合う」
その旅路で、私は今月、どんな心の景色を見たのだろう。
世間の「正解」とは違うかもしれない。
でも、私にとっての真理を追い求める。

これは、私自身の「つぶやき」。

こんにちは。Kです。

月に1回、月末にコラムを書いております。
5月のコラムはコチラ。

doubt-your-thoughts.hatenablog.jp

夏至も過ぎて、2026年も半分終わりましたね。
あっという間です(笑)

今月気になった1冊

最近のブログのテーマは「意識と認識の違い及び意識のモデルを分かりやすく考える」なのですが。
それを説明する上で、量子論のモデルは非常に便利です。

ところで、スピ界隈では、「科学的根拠(量子論や脳科学)を出しておけば怪しさが薄れる」みたいな雰囲気がある気がします。
しかし、ちゃんと理解をした上で使わないと、根拠として持ち出していいのだろうかという考えなのです
なぜなら、応用するのに正確な理解を欠いたまま、ただ都合の良い部分だけをつまみ食いしてしまうと、それは科学ではなく単なる精神論の言い換えになってしまうからです。

現に、量子論を説明に出したのはいいけれど、ちょっとツッコむと答えに詰まるなんて人がセミナーをやっていて、私の心のモヤモヤはずっと晴れないままでした(笑)
根拠はそのモヤモヤを晴らすものであるべきではないかと思います。

そんな思いがあって、私は自分が納得する形になるように日々考えているのです。

ネットで調べると怪しい情報も出てきてしまうので、一旦、本を買って量子論を学ぶことにしました。

ただ、分かりやすい優しい本を買うと、これもまた嘘だったりするので・・・

最近出た、大学の物理学の副読本レベルにしてみました。

amzn.asia

一応、私は大学で物理を専攻していましたけど、単語は覚えているんですが、公式とかもう忘れていて、途中出てくる公式に四苦八苦しながらも読み進めています。

結局、意識とは真の自由

まだブログとして言語化していないのですが、意識とは真の自由だと思うのです。

よく、コーチング業界では「何も制限がなく何でもできる自分だったら」みたいな問いかけをして、理想の自分を考えたりします。
引き寄せ界隈では、「なりきりメソッド」で、理想の自分になりきるみたいなことをやっていたりします。

けれども、結局これをやったところで、認識で見ている世界でやっていたら無意味だと思うのです。
それは、認識の世界では自分が固定されてしまっているからです。
実際、そんな理想を出したところで、現実の自分との乖離に苦しみ、無理矢理思い込もうとして失敗するのがオチです。

そこで意識の視点で考えたら、認識で今の現実は現実として受け入れつつ、意識では認識で見ている現実を自由に捉えることができるようになるのです。
その辺りの詳しい話は、また来月に。

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変性意識状態なんて分からなくても、ノートで別次元のひらめきは得られる。

変性意識状態や瞑想、チャネリング。
スピリチュアルな領域ではこうした言葉がよく使われますが、本当にそれができているのかどうかを証明するのは困難です。
脳波を測定でもしない限り明確な根拠は示せないため、どれだけ実践しても「本当にできているのだろうか」と自信を持てないケースは少なくありません。

しかし、 目に見えない不確かな訓練をしなくても、ノートという物質的な道具を使い、「主観と客観を物理的に切り替える」ことで、脳波の階層が移行するプロセスを誰でも確実に再現することができます。

自己否定がもたらすβ波とノートによる客観視

ノートに何かを書くという行為は、自分の内側にあるものを吐き出す「主観(認識)」の作業です。
しかし、それを一歩引いて眺める瞬間、視点は「客観視(意識)」へと切り替わります。

もし、この客観視を行わずに自分の中でぐるぐると自己否定を繰り返していると、人間の脳波は緊張やストレスを示す「β(ベータ)波」になりがちです。
β波の状態では視野が狭くなり、感情や思考の波に完全に呑み込まれてしまいます。

ノートを書き、それを客観的に眺めるというプロセスを繰り返していくと、感情や思考に流されにくくなります。
客観的な事実と主観的な解釈が分離されるため、自然と自己否定をしなくなっていくのです。この状態のとき、脳波はリラックスして集中が高まった「α(アルファ)波」へと移行しやすくなります。

α波の状態になると、これまでに蓄積された経験や知識、既存のデータが綺麗に結びつき、論理的で再現性の高い「ひらめき」が得られるようになります。

その先にあるΘ波と次元の違うひらめき

さらに淡々とノートでの客観視を続けていくと、思考のノイズが完全に静まり返る瞬間が訪れます。
ふとした瞬間に、脳波がさらに深い「Θ(シータ)波」の領域に入るのです。

瞑想の熟練者が厳しい訓練の果てにたどり着く変性意識状態とは、脳波の観点から見ればこのΘ波の状態を指します。
そして、これはノートを使って徹底的に思考を客観視し尽くした先にも、全く同じように現れる現象です。

ただし、瞑想の熟練者のように、その深い意識状態をずっと維持し続ける必要はありません。
ノートを開き、客観視の果てに、一瞬でもその領域に入り、ひらめきを紙の上に固定できれば、それで100%目的は達成されるからです。

このΘ波の領域で生まれるのは、既存のデータの組み合わせからなるα波のひらめきとは、明らかに次元が異なります。
これまでの知識や経験の延長線上にはない、全く新しい視点や、まるでどこからか降ってきたかのような「次元の違うひらめき」です。

例えば、「ハイヤーセルフ=高次元の自分」というコテコテのスピリチュアルな知識や、「α波=ひらめきが得やすくなる」といった一般的な知識しか持っていなかったとします。
それぞれの知識は単なる既存のデータに過ぎませんが、それらが全く予期せぬ形で結びつき、「ハイヤーセルフとは究極の客観視」であり、「ノートを継続することで、ひらめきやすい脳波になる」という全く新しいロジックとして立ち上がってしまう。

こうした、過去の自分の枠組みを遥かに超えたパラダイムシフトが起きることこそが、Θ波のひらめきの実体なのです。

確実な根拠の上に立つメンタルマネジメント

スピリチュアルだけの知識を身につけると、内容が精神論や抽象的な話ばかりに偏り、どうしても客観的な根拠が薄くなってしまいます。
その結果、「できているか分からないのに、できていると言い張る」という、自分を信じきれない悪循環に陥りがちです。

精神性を高めるため、あるいは見えない能力を鍛えるために、瞑想を必死に試みる必要はありません。
ノートを開き、書き、それを自分の目で眺める。
この「書く(主観)」「眺める(客観)」という100%目に見える現実的な行動の反復こそが、脳の緊張(β波)を解き、深いリラックス(α波)と静寂(Θ波)の状態を自らの手で作り出す、最も再現性の高いメンタルマネジメントのルートなのです。

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ハイヤーセルフとは高次の自分と言われるが、結局は究極の客観視である。

スピリチュアル界隈ではよく「ハイヤーセルフと繋がる」なんて言われますが、あの表現に少し違和感を覚えることはないでしょうか。
高い次元にいて、特別な儀式をして繋がる神聖な存在のような、そんなオカルト的なイメージで語られがちです。

しかし、その本質を論理的に解体していくと、実は単なる「意識のレイヤー(階層)の違い」であり、もっと言えば「究極の客観視」という視点移動の話に集約されます。

主観の中の客観視と、究極の客観視の違い

私たちが普段行っている一般的な客観視は、厳密には主観を完全に廃することができていません。
自分という枠組みの内側から世界を見て、その中で「私は今、冷静に状況を見ているぞ」と思っているだけです。
これは、自分自身を外側から客観視できておらず、どこまでも「主観の中の客観視」の域を出ていません。

これを映画に例えるなら、スクリーンに映っている登場人物が、劇中の自分の状況を冷静に分析しているようなものです。
どれだけ冷静に分析していても、そのキャラクターは映画の世界(主観)の内側に囚われています。

一方で、究極の客観視というのは、映画を見ている自分自身の思考、感情、肉体すらも、完全に外側の客席からスクリーン全体として眺めている状態を指します。
あるいは、ノートに書き出した自分のドロドロした感情や思考のすべてを、一冊のノートの世界にまとめられたデータとして、一歩引いたところからただ淡々と眺めている状態です。

これこそが、スピリチュアルで言うところの「ハイヤーセルフの視点」の実体です。

『パワーか、フォースか』に見る「認識」と「意識」の区別

デヴィッド・ホーキンス博士の著書『パワーか、フォースか』の文脈を借りて説明するなら、これは「認識」と「意識」の厳密な区別にあたります。

自分から見た世界や、自分の中に湧き上がる思考や感情はすべて単なる「認識」に過ぎません。
対してハイヤーセルフの視点、すなわち究極の客観視とは、自分が主人公の映画を客席から見ている観客の視点であり、これこそが「意識」です。

だからこそ、高次元の存在と「繋がる」という表現はおかしいわけです。
繋がるのではなく、単に自分の意識の持ち方を「その客席の視点に持っていく」だけなのですから。

肉体というハードウェアが持つ限界

ただし、現実的な事実として、私たちは肉体というハードウェアを持っています。
生存本能や五感のフィルターがある以上、24時間365日、この「100%完全な究極の客観視」を維持し続けることは不可能です。
肉体がある限り、私たちはどうしても再び映画のスクリーンの中に引き戻されます。

大切なのは、完璧にハイヤーセルフの視点と同化して生きるという幻想を追うことではありません。
肉体の制限を受け入れながらも、日常の中で「あ、いまスクリーンの中に没入していたな」と気づき、客席の視点へと戻る頻度を増やしていくこと。
それを日常で簡単に実践できるのがノートです。

スピリチュアルな言葉の霧を論理で払えば、そこに見えてくるのは、驚くほどシンプルで実践的なメンタルの扱い方なのです。

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「おかしい」ではなく「違う」で現実の捉え方に一石を投じる。


「叶っていない現実はおかしい」
「理想の状況でない今の現実はおかしい」

引き寄せやコーチングの世界では、現状を打破するためにこのような言葉がよく使われます。
しかし、淡々と現実を見たらそれはただの現実であり、別におかしくはありません。
「おかしい」と評価しているのは、あくまで主観です。

可能性を信じるアプローチに潜む矛盾

おそらく、そうした手法の意図は、「あなたにはもっとできる可能性があるのだから、今の現実に甘んじているのはおかしい」とハッパをかけることにあるのだと思います。
プレイヤーの高い可能性を信じさせるためのアプローチのはずです。

しかし、ここに大きな矛盾があります。
可能性を信じようとするあまり、スタート地点で今の自分(観測者)を全否定してしまっているのです。

個人的に「おかしい」という言葉には、間違いや異常といった否定のニュアンスが含まれていると感じます。
つまり「現実がおかしい」と言うことは、そんな現実を作っている自分自身を否定することに繋がってしまいます。
自分という土台を否定した状態のままで、果たして理想の現実へ舵を切ることはできるのでしょうか。

「制約がないならどうするか」という問いの盲点

よく現状破壊をさせるために、「何の制約もない状況だったらどうするか?」という質問を投げかけることがあります。
しかし、この問いに対して、現実を見ずに答えてしまったり、自分の本質を無視して答えたりしてしまうケースは少なくありません。

なぜそうなってしまうのかというと、やはり根底で観測者としての自分を否定しているからです。
今の現実を「おかしい」と全否定している状態からスタートすると、自分に関連するものを全て否定することになります。
ベースが自己否定になっているため、そこから出てくる理想の答えも、自分の本質からズレた地に足の着かないものになってしまうのです。

「おかしい」ではなく「違う」という感覚

「おかしい」という表現は、実際問題として自分の世界を全否定することになりますが、「違う」という表現だったらどうでしょうか。

「違う」というのは、例えば服を選ぶときにピンと来ない時、「今日の気分と違う」と思うあの感覚です。
それは一時的に合わないだけ、というニュアンスだと思います。

これだったら、自分という観測者を否定することにはなりません。
あくまで目の前の現実が、今の自分の感性とフィットしないというだけで、現実そのものを異常だと否定している訳ではないのです。

他人の言葉や世間のメソッドの表現に惑わされず、まずは自分という観測者の土台を否定しないこと。
現実を淡々と見つめながら、ただ「今の自分の感性とフィットしないだけ」と捉えることが、本来の自分に合う現実へと舵を切るための自然なステップなのだと思います。

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「意識」を変えないと、何を試しても自分のナカは変わらない。

世間には、レイキやマインドブロック解除など、心のブロックを外したりエネルギーを整えたりするメソッドがたくさんあります。
しかし、そういったものをいくら受けても、イマイチ変化を感じられないというのはよくある話です。

結論から言うと、自分で「気付く」という意識を持たない限り、どんなメソッドを試しても効果は薄いと思っています。

意識レベルとは「客観視できるかどうか」

そもそも、意識レベルというのは、ざっくり言うと「自分をどれだけ客観視できるかどうか」です。
自分のネガティブな思考や感情で頭がぐちゃぐちゃになっているときは、完全に自分のマイナスの思い込みの世界に閉じこもっている状態です。
そうなると、自分や周りから受け取れる情報が、すごく狭い範囲に絞られてしまいます。

そんな状態で、外側から何かを変えてもらおうとしても、なかなかうまくいきません。
なぜなら、周りから得られるものは、結局はただのキッカケにすぎないからです。
本当の答えは、やはり自分の中から湧き出たものでないと、しっくりこないのではないかと思います。

その情報は「どこから」来ているのかという疑問

たとえば、マインドブロック解除の施術で、イメージを入れ替える手法があります。(習ったわけではなく、受けただけなので細かいことは知りませんが・・・)
しかし、そもそも施術者の人が受け取ったイメージというのは、本当に私の情報から受け取ったものなのかな?という素朴な疑問が湧いてしまいます。

他者の言葉や表現は、必ずしも自分が受け取りやすい形になっているとは限りません。
そもそも、こちら側にそれを受け取れるだけの意識状態が整っていなければ、どんな言葉も響かないですから。

情報を受け取るということは、「いったいどこから来ている情報なのか」という疑問がつねに付きまとうものです。
自分自身の意識が低いままだと、やはり低いレベルの情報しか受け取れない気がするのです。

現に、自分自身が自己否定でネガティブな状態であったときに色んなことをしましたが、うまくいった試しがありませんでした。
結局、自分というナカが変わらない限り、キッカケがあったとしても同じところでグルグルするだけなのです。

自分という「周波数変換器」を整える

レイキも同じです。
宇宙からのエネルギーを自分のパイプを通して送る、という概念ですが、自分のパイプを通すということは、結局「自分自身の周波数」に変えてしまうということではないでしょうか。

自分という周波数変換器が、高い周波数なら良いエネルギーが流れますが、意識が低くて低い周波数だったら、せっかくのエネルギーも濁ってしまいます。

どれだけ素晴らしいメソッドであっても、それを受け取る自分という器やパイプが整っていなければ、すべてそのレベルに変わってしまいます。

それに、エネルギーと言われても、つかみどころがなくてよく分からないというのが本音ではないでしょうか。
目に見えない不確かなものは、自分をガラッと変えるほどの強いインパクトや、変化の起爆剤にはなりにくいのです。

私自身、レイキは臼井式だけでなく、カルナやライタリアンを伝授してもらいましたが、そのときは自分のナカが整っている状態ではなかったし、伝授してもらっても整った実感がありませんでした。
それゆえ、レイキ伝授の情報に書いてある変化に関する謳い文句など、自分のナカ次第なのではないかなと思います。

他人の力や外側のメソッドに頼り切るのではなく、まずは自分を客観視して、自分の中で気付くこと。
自分という変換器の意識を整えることこそが、自分を変えるための一番の近道なのだと思います。

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