自分を満たしても、思ったほど快感がない。その違和感から見えてきた「凪」の考え方

自分を満たす行動をしたのに、思ったほど快感がない。 
最近、そんな場面が何度かありました。
この小さな違和感をきっかけに、私の考えのベースが変わったので、今回はその変化を書いてみます。

ノートを始めた頃の考え方 

不快に耐えるのが当たり前だった
ノートを始めた頃の私は、不快に耐えることが当たり前になっていました。
そのため、最初にやったのは、不快センサーを取り戻すことでした。
不快を減らし、快を積み上げる
同時に、自分を満たす(=自分を大切にする)ことも続けていました。
不快を減らしながら、快を積み上げていく。
当時は、そんなイメージを持っていました。

快を積み上げることへの疑問

満たしても、大した快感がない
しかし最近、快を積み上げること自体に疑問を持つようになりました。
自分を満たすことをした瞬間、大した快感がない。
そんなことがしばしばあったからです。
たとえば、キラキラ系の起業でよく見かけた「ホテルのラウンジでお茶をする」。
稼げるマインドをインストールするための行動だそうです。
しかし私は、居心地が悪くて仕方がありませんでした。
誰の気配も感じない家で、コーヒーをすすっているほうが、よほど幸せです。
旅をしながら働くノマドのスタイルも同じです。
駅や空港に出るまでがだるく、移動で身体に負担がかかり、混雑していれば周囲のうっとうしさまで加わります。 
理想の働き方として語られていても、私にとってはしんどさの極みでした。
他人の価値観で埋めようとしていた
快を足しているつもりで、実は不快を足していた。
そう気づいたとき、「自分を満たす」という言葉の中身が、他人の価値観だったのではないかと感じました。
マインド系の情報を集めると、似たようなテンプレの理想が出てくる傾向があるように感じます。
それを無意識に受け入れていた可能性があります。

不快がゼロになること自体が、快

そんな考えを重ねるうちに、あることに思い至りました。
不快をなくしてゼロにすること自体が、すでに「不快から快への変化」ではないか、ということです。
そうであれば、わざわざ快を足し算する必要はないのかもしれません。
不快が消えた時点で、変化としての快はもう起きていると考えています。

引き算思考ではなく「凪の思考」

一般的な引き算思考との違い
先日のブログでは、この考え方を「引き算」と表現しました。
ただ、ポピュラーな引き算思考は、私のイメージでは断捨離に近いものです。
手放してすっきりし、その結果の恩恵を受ける。
つまり、足し算が残っています。

私が感じているのは「ゼロ」

私が今感じているのは、そうではありません。
不快を減らし、無くして、ゼロにする。
波が立っていない状態、つまり「凪」です。
そこで、この考え方を「凪の思考」と呼ぶことにしました。
家で誰の気配も感じずにすするコーヒーは、何かを足した状態ではありません。
不快がないだけです。
しかし、それだけで十分に満ちています。
ブッダやショーペンハウアーの思想に近い
この考え方は、ブッダやショーペンハウアー、ホーキンズ博士の思想に近いのかもしれません。
ブッダは、苦しみの原因となる渇愛がなくなることを「苦の滅」と説きました。
ショーペンハウアーは、幸福を苦痛のない状態として捉えました。
まだ勉強中なので断定はせず、近いところにいるのかもしれない、くらいに留めておきます。

まとめ:快を足さなくても、凪は満ちている

快を積み上げていた頃の経験は、無駄ではなかったと思っています。
足してみたからこそ、足さなくてもいいのかもしれないと思えたからです。
今は、不快をゼロにした先の凪を、しばらく味わってみるつもりです。

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「快」を疑い、「不快」を信じる。人生の資産を増やす判断基準のつくり方。

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足してきたものが、いつの間にか重荷になっているとき:欲を引き算するという選択肢

あれもこれも足していったら、いつの間にか身動きが取りにくくなっている。
そんなとき、別のものを足してやり過ごす以外にできることは何だろうか。

前回は、足し算思考がどこへ向かっていくのかを整理しました。doubt-your-thoughts.hatenablog.jp

今日は、その続きとして「引き算」について書いてみます。
ただし、先に伝えておきたい考えがあります。
引き算は、知ったうえで選ぶものだと考えています。

引き算とは何か

引き算は、禁じることではない
引き算といっても、欲を悪者にして押し込めることではありません。
前回も書いたとおり、足し算そのものは悪いものではないと考えています。
引くのは、「足りない」という前提から膨らんだ過剰な部分だと考えています。
必要なものまで削ってしまうと、それは引き算ではなく、ただの我慢になってしまいます。
覆い隠すか、元から減らすか

ここでいう足し算の対処とは、不快の原因はそのままに、別のものを足してやり過ごすこと、つまり覆い隠すことだと思います。
引き算は、不快の原因そのものを減らす方向だと考えています。

同じ「楽になりたい」でも、向かう先が違います。

 

引き算は、知ったうえで選ぶもの

足し算を経験していなければ、ただの偏りになりやすい

経験したことのないものを「良くないもの」と避けるのは、引き算とは少し違うと感じています。
知らないまま避けているだけで、自分に合うかどうかを判断する材料が乏しいからです。
その状態では、「あれは悪い」「これは不要だ」と、偏った見方になりやすいのではないでしょうか。

試すといっても、気づかないまま止まれなくなることではありません。
立ち止まって、自分に合うかどうかを確かめながら足してみる。
前回書いた「気づくこと」が、ここでも出発点になります。

ここでいう足し算は、日常の欲や習慣についての話です。
依存性や危険を伴うものまで、試すことを勧める意図はありません。

何を引くのか

過剰な欲:「足りない」から生まれる「もっと」

「もっと」が止まらないとき、その根っこには「今の自分は足りない」という前提があるのかもしれません。
足りないものを探し続けるより、その前提そのものを見直す。
それが、欲を引き算するということだと考えています。

「足りない」という前提から膨らんだ欲は、満たされない感覚として、不快の原因の一つにもなると考えています。

一度足してみて、そのうえで自分には合わないと感じたら引く。
この順序が、引き算を「選択」にしてくれると考えています。

試して、合わなければ引く:私の場合

私は、去年までストレスが溜まると一人でお酒を飲むことが多くありました。
今年の途中から、一切飲まなくなりました。

飲んでいた時期がなければ、やめることは引き算にならなかったとも考えています。
ストレスの原因を減らし、環境を整え、考え方も見直しました。

ここでいう「見直す」は、新しいものを足すというより、抱えていたものを手放す作業に近かったと捉えています。

足し算の経験は、溺れることではない
ブッダの教えにも通じる視点

こうした考え方は、ブッダの教えにも通じるところがあると感じています。
ブッダは、王族として何不自由ない暮らしを送ったあと、出家して厳しい苦行にも取り組んだと伝えられています。
その両方を経験したうえで、快楽にも苦行にも偏らない「中道」を選んだとされています。

また、苦しみの原因を、尽きることのない欲しさ(渇愛)に見て、それを手放すことが説かれています。
欲のすべてを消し去るというより、握りしめている状態をゆるめる。
引き算というより、「手放す」という言葉の方が近いのかもしれません。

足し算も、行き過ぎた引き算も経験したうえで選ぶ。
その点が、この記事の考え方とも重なると感じています。

試すといっても、気づかないまま止まれなくなることではありません。
立ち止まって、自分に合うかどうかを確かめながら足してみる。
前回書いた「気づくこと」が、ここでも出発点になります。

ここでいう足し算は、日常の欲や習慣についての話です。
依存性や危険を伴うものまで、試すことを勧める意図はありません。

今の自分は、足したいのか、引きたいのか。
そんな問いを、置いておきます。

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何を引くのか

過剰な欲:「足りない」から生まれる「もっと」

まとめ:足し算も引き算も、選べる状態に

足し算は、気づかないと止まれなくなることがあります。
引き算は、知らないまま選ぶと偏りになりかねません。
どちらも、気づいたうえで選ぶことが大切だと考えています。

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『もっと』が止まらない正体:足し算思考が行き着く先

なぜ、十分に頑張っているはずなのに、「もっと何かしなければ」と思ってしまうのでしょうか。
ひとつ手に入れても、気づけば次のものが欲しくなっている。

その感覚の正体は、「足し算」で物事を考えるクセにあるのかもしれません。
今日は、足し算思考がどこへ向かっていくのかを整理してみます。

「何かをしなければ」が苦しさを生む

仕事:足りない自分を補おうとする
仕事で「もっとスキルを身につけなければ」「もっと成果を出さなければ」と考えると、終わりが見えにくくなります。
今の自分に何かを足し続ける発想は、裏を返せば「今の自分は足りない」という前提から始まっているように感じます。
お金:増やさなければという焦り

お金も同じです。
「もっと稼がなければ」「もっと貯めなければ」という足し算で考えるほど、いくらあっても安心できない状態になりやすいと感じています。

共通点:どちらも「足りない」が出発点
仕事もお金も、苦しさの根っこは金額や量ではなく、「足りない」という前提にあるのかもしれません。
足し算には、ゴールが見えにくいという性質があります。

足し算の延長にある欲の暴走

転売:得ることが目的化した姿

足し算を突き詰めていくと、「得ること」そのものが目的になる場面があります。
転売の問題は、その分かりやすい例だと思います。

本来は必要な人に届くはずのものが、利益を得るために買い占められてしまう。
そこでは、何のために得るのかが曖昧になっているように感じます。

室外機の金属盗難:手段を選ばなくなるところまで

エアコンの室外機から金属を盗んで売る、というニュースもあります。
これは犯罪であり、擁護できるものではありません。
しかし、「何かを得たい」という足し算が行き着く極端な形の一つとして、見ておく価値はあると感じます。

個人の問題だけではなく、足し算が行き着く構造

ここで言いたいのは、特定の誰かを責めることではありません。
得ることを良しとする足し算の考え方は、止まる場所がないため、どこかで暴走しやすいのではないか、と考えています。
その構造を見ておきたいのです。

足し算の限界

得ても満たされず、次が欲しくなる

何かを手に入れると、一瞬は満たされます。
しかし、その満足は長続きしないことも多く、また次が欲しくなる。
この感覚には、覚えがある方も多いのではないでしょうか。

脳は期待に反応しやすい仕組みを持つ
脳の仕組みから見ても、似たことが言えるという考え方があります。
脳は、手に入れた瞬間よりも「手に入りそうだ」という期待の段階で強く反応しやすく、同じ刺激に慣れると物足りなくなっていく、
というものです。
「もっと」が止まらないのは、意志の弱さだけが原因ではなく、脳の性質と足し算思考が重なっているからかもしれません。
足すほど、守るもの・追うものが増える

さらに、足し算には別の側面もあります。
得たものが増えるほど、それを維持し、守り、追い続ける負担も増えがちです。
足したはずのものが、いつの間にか重荷になっていることも少なくありません。

まとめ:足し算に気づくところから

足し算は悪いものではありません。
何かを学んだり、経験を増やしたりすることには、確かに良さがあります。

苦しくなるのは、足し算で走っていることに気づかないまま、止まれなくなっているときだと考えています。

まずは「今、自分は何かを足そうとしているな」と気づくだけでも、少し立ち止まれるかもしれません。

私自身、去年までは、ストレスが溜まると一人でお酒を飲むことが多くありました。
お酒でストレスを覆い隠す、という足し算の対処だったと思います。

しかし、今年の途中から、一切飲まなくなりました。
ストレスの原因を減らし、環境を整え、考え方も見直す。
そうしてストレスそのものをほとんどなくせた結果、覆い隠す必要がなくなったのだと考えています。

足す以外の選択肢として、引いて整えるという視点があります。
この「引き算」とは何なのか。
次の記事で書いてみます。

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「なりたい自分」を描いても、なぜか手詰まりになるとき:不快の回避から始める選択。

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ラクに生きたいのに、なぜか疲れる:不快を解消して手に入る「ゼロの状態」

役割に追われて、なんだか疲れてしまうことはありませんか。
そんなとき、役割そのものを減らさなくても、役割の「見え方」を変えるだけでラクになることがあります。
 「ラクに生きたい」と思ったとき、何もしない状態をイメージしていました。
しかし最近は、ラクとは「不快を回避・解消したあとに残るゼロの状態」ではないかと考えています。

ラクとは、不快が消えたゼロの状態

何もしなければラクになるわけではありません。
不快を放置したまま何もしない状態は、かえって消耗しやすいと感じています。
不快の回避・解消をして、マイナスがゼロに戻る。
そのフラットな状態こそが、私にとってのラクです。

ラクに生きる=マイペースに生きる=自分を生きる

私にとって、ラクに生きることはマイペースに生きることです。
そしてそれが、自分を生きることだと思っています。
逆に、マイペースに生きられないとき、そこには不快が伴うことが多いと感じています。

役割は、周りがいるから生まれる

役割そのものは悪くない
周りに誰かがいることで、親・子・同僚・友人といった色々な役割が発生します。
役割そのものは悪いものではありません。
しかし、他人の期待に過度に応えようとすると、そこで無理が生じやすくなります。
役割には、受動的に応える
役割に自分から能動的に身を投じにいく必要はないと考えています。
縁によって巡ってきた役割を、受動的に、できる範囲で全うする。
この距離感であれば、無理をせずに役割と付き合いやすいと思います。
意識レベルで眺めると、役割は「ただ生きること」
デヴィッド・R・ホーキンズ博士が示した意識のレベルという考え方があります。
恐れやプライド、義務感といった低めの意識で役割を見ていると、「親なのだから」「社員なのだから」と、役割は果たすべき重荷に映りやすいのかもしれません。
期待に応えようとして無理をするのも、こうした状態のときが多いように思います。
しかし、私は、受容や平和といった意識で自分の状態を眺めると、見え方が変わると感じています。
役割は、背負うものでも、演じ切るものでもないのかもしれません。
周りに誰かがいる中で、ただ生きている。
その結果として、役割と呼ばれるものが付いてきているだけなのかもしれません。
そう考えると、役割を能動的に取りにいく必要も、期待に応えきる必要もなくなるように思います。
縁によって巡ってきた役割を、ただ生きる延長で受動的に全うする。
それで十分だと感じています。

マインドセットや設定変更のもう一つの役割

マインドセットを整えたり、設定変更をしたりする目的は、「理想の自分になること」だけではないと考えています。
自分がいちばん楽で、マイペースで、心地よくいられる視点を選ぶためのもの。
そう考えると、少し肩の力が抜けます。

まとめ:自分を生きるとは、フラットにマイペースでいること

  • ラク:不快の回避・解消で得られる「ゼロの状態」
  • 役割:高い意識で眺めると、「ただ生きること」の延長
  • 自分を生きる:フラットに、マイペースに生きること

マイペースでいられないと感じたら、それは不快のサインかもしれません。
そのサインを手がかりに、自分にとって心地よい視点を選び直してみるのも一つの方法です。

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「快」を疑い、「不快」を信じる。人生の資産を増やす判断基準のつくり方。

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今月の気づき。「快」ではなく「不快」を起点にしてみた。

こんにちは。Kです。

月に1回、だいたい月末にコラムを書いております。
8月のコラムはコチラ。

doubt-your-thoughts.hatenablog.jp

快で満たそうとして、手詰まりになった月でした。
「快の感情を意識しましょう」と、これまで何度も耳にしてきましたし、自分でもそれが良いと思っていました。
しかし、どこか違和感がありました。

一つは、もともと欲があまりないことです。快を探そうとしても、探す先が見つかりません。
もう一つは、快を基準に考えると、他人の価値観で判断しがちなことです。
ブログにも書いたとおり、快は際限がなくなりやすく、気づけば他人の快に引っ張られていることがあります。

一方、不快は、自分の価値観で判断しやすいと感じます。
他人の物差しが入り込みにくいからです。
だからこそ、不快を基準にしたほうが、判断のミスが少ないと感じました。

見えてきた不快は、音だった

不快を起点に暮らしを見直したとき、真っ先に出てきたのが音でした。

  • 夜中の作業音:近所に夜勤のある会社があり、3〜4時ごろに現場から戻ってきて片づけを始めます。外で話しながらの作業なので、まあまあうるさいです。
  • 朝の階段の音:朝はゆっくりしたい派なのですが、通勤や通学の人が階段を使う音が、思いのほか気になります。

これまでは「仕方ない」と我慢していたものです。
しかし、不快だと認めたら対処は意外と簡単で、耳栓をするようになりました。
たったそれだけで、家での時間の質がぐっと上がりました。

家の外でも、ノイズを受けない

この考え方は、家の外にも広がりました。
人が多い時間や曜日には出かけない、という行動です。

混雑に耐えるのではなく、不快が生まれる条件そのものに近づかないようにしています。
家の中では「取り除く」、家の外では「近づかない」と、やっていることは違っても、根っこは同じです。

まとめ:足すより、引いて整える

欲があまりない自分にとって、快を足していく方向は手詰まりでした。
しかし、不快を一つずつ引いていくと、居心地のよさが自然と残りました。

欲があまりなくても、暮らしは整えていけるのかもしれません。
それが、今月いちばんの気づきです。

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思考ノイズを物理的に遮断する。「五感の多重ロック」で叶う、再現性100%の心の平穏

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変わろうとしているのに、なぜか変わらない。そのとき、内側で何が起きているのか。

変化の基本は、「気づいて、置き換える」こと

変わろうとしているのに、なぜか変わらない。
そんな違和感を覚えることは、少なくありません。
自分を変えたくて取り組んでいるのに、思うように変われない。
そうした場面では、つい、もっと複雑なメソッドや特別なワークを探したくなります。

しかし、変化のプロセスそのものは、意外とシンプルです。
基本の流れは、次の2つだけです。

  1. 自分の身体感覚や、目の前にある事実に気づくこと
  2. 違和感の元になっている前提を、自分にとってより楽で自然なものに置き換えていくこと

外側から入ってくる情報や、「こうあるべき」という考え方に振り回されるのをやめて、自分の内側にある感覚と事実を丁寧に拾い上げていく。
そうした積み重ねによって、人は少しずつ変わっていくと考えています。

なぜ「思ったほど変わらない」と感じるのか

このステップを踏んでいるつもりでも、
「想像していたほど変化が起きない」
「しばらくすると、似た悩みが形を変えて出てくる」
ということがあります。

そのとき内側をよく見ていくと、「他人からよく思われたい」という気持ちや、自分を無意識に偽る感覚が、まだ残っていることがあります。
前提を置き換えたつもりでも、その土台に「見栄」や「他人軸の正しさ」が残っていると、変化はどうしても表面的なところにとどまりやすくなります。

「変わっていない」のではなく、もっと深い層に触れているのかもしれない

思ったような変化が見えないと、「自分は何も変わっていないのではないか」「これまでの取り組みは無駄だったのではないか」と、焦りや徒労感を覚えるかもしれません。

ですが、必ずしもそうではありません。

それは失敗したというより、もっと深い部分を掘り起こしている途中だと考えたほうが自然です。
表面の課題がいったん整理されたからこそ、その奥にあった本質的なテーマが見えてくる。
そういうことは、よくあります。

問題が「解決したサイン」とは何か

では、地味な反復の末に本質的なテーマ(ここでは「核」と呼びます)にたどり着き、それがほどけたとき、人はどんな状態になるのでしょうか。
劇的な達成感や、「乗り越えた」という大きな手応えを想像しがちですが、多くの場合はもっと静かです。

解決のサインの一つは、その問題がほとんど気にならなくなることだと考えています。
葛藤したり、克服しようと力んだりする必要がなくなり、そもそも意識にのぼらなくなっていく。

問題として気にならなくなった状態こそが、核に届いたサインなのかもしれません。

まとめ:地味な反復を、焦らず続けていく

一発で人生が大きく変わるような魔法はありません。
自分の感覚に気づき、違和感を少しずつ手放していく。
その地味な作業を重ねていくことで、少しずつ問題の核に近づいていくのだと思います。「変わらない」と感じても、焦らなくてよいのかもしれません。
気にならなくなるその日まで、今はもっと深いところに向かって進んでいる途中なのだと知っておく。
それだけで、目の前の一歩を落ち着いて積み重ねていきやすくなるはずです。

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「設定を変えたのに変われない」の正体:多面体(スキーマ)の新しい面を1つずつ意識化していくプロセス

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刺激を求めるのは「脳の仕様」。だからこそ「快」より先に見るべきもの。

脳は、新しい変化を求めるようにできている

新しい刺激や変化を求めて目移りしてしまう自分に、どこかで嫌気がさすことがあります。
しかし、これは意志の弱さの問題ではないと思います。
脳には「新奇性(新しい刺激)」を好みやすいという考え方があり、同じ状態が長く続くと物足りなさを感じるのは、ある意味で自然な反応なのではないでしょうか。

まず押さえておきたいのは、この「刺激を求める性質」自体は、後から身についたものではなく、脳にもともと備わっている土台だということです。

その土台の上に、「快」の方向づけが乗ってくる

刺激を求める性質そのものは、本来は中立なものだと思います。
しかし、その刺激が、ほぼ自動的に「快を求める方向」へと結びついてしまうように感じています。

ノート術の中には、感謝ワークのように「今あるものに感謝する」ことを目的にした手法があります。
しかし、実際にやってみると、感謝で終わらずに「もっと良い状態」「もっと満たされた状態」を探しにいってしまう自分がいます。

これは感謝ワークが悪いのではなく、脳の「刺激→快の追求」という回路の方が強く働いているからではないかと感じています。
今に感謝しているつもりが、気づけば次の快を探すためのウォーミングアップになっているのです。

「快」の中身は、いつの間にか他人基準になっている

ここまでは脳にもともと備わっている性質の話でした。
しかし、それとは別に、後から刷り込まれてくるものもあると思います。
それが「何に対して快を感じるか」という中身そのものです。

自己啓発・自分ビジネス系の発信者の多くは、リッチさやラグジュアリーさを前面に出してきます。
それを見ていると、自分もそちら側に行かなければいけないような気がしてきます。

しかし、それは本当に自分が心から望んでいたものでしょうか。
他人が「良いもの」だと定義したものに、知らないうちに自分の感覚が刷り込まれているだけのような気がします。

穏やかな状態を、「停滞」だと錯覚してしまう

ここに、もう一つ厄介な仕組みが重なってくると思います。
それは、「変化がない=停滞している」と感じてしまう錯覚です。

脳は刺激や変化を求めるようにできているため、静かで穏やかな時間が続くと、それを「安定」ではなく「止まっている」「進んでいない」と解釈してしまうことがあります。
しかし、穏やかであることと、停滞していることは、本来まったく別のものです。
何も起きていないように見える時間も、実際には十分に満たされている状態であることが多いのではないでしょうか。

それなのに、脳の「変化を求める仕様」が、その穏やかさを物足りなさや焦りに変換してしまう。
ここが、今回の話の核心だと思います。

今のままで十分なのに、物足りなく感じてしまう理由

  • 脳がもともと新しい刺激を求める仕様になっていること

  • その刺激が快の追求に向かいやすいこと

  • 「快」の中身に、他人の価値観が刷り込まれやすいこと

  • 変化がない穏やかさを、停滞だと錯覚してしまうこと

この四つが重なると、実際には今のままで十分な状態にいても、「もっと」を探しに行ってしまいます。
穏やかな今を「物足りない」と感じてしまうのは、心が貧しいからではなく、脳の仕様と、外側から刷り込まれた「良いこと」の合わせ技なのではないかと思います。

まとめ:脳の仕様を知り、自分の感覚に立ち戻る

刺激や変化を求めること自体を、否定する必要はないと思います。

しかし、今追いかけている刺激や快は、本当に自分が望んでいたものなのか。
それとも、他人が掲げた「良いこと」に、脳の仕様が反応しているだけなのか。
そして、この穏やかさは、本当に停滞なのか。

この構造を知っておくだけで、外側の情報に振り回されず、今の自分にとっての本当の心地よさに、静かに立ち戻れる気がしています。

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自分ビジネスにおける月7桁とラグジュアリー空間のクライシス|K@意識について考える人

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