
最近、そんな場面が何度かありました。
この小さな違和感をきっかけに、私の考えのベースが変わったので、今回はその変化を書いてみます。
ノートを始めた頃の考え方
不快に耐えるのが当たり前だった
そのため、最初にやったのは、不快センサーを取り戻すことでした。
不快を減らし、快を積み上げる
不快を減らしながら、快を積み上げていく。
当時は、そんなイメージを持っていました。
快を積み上げることへの疑問
満たしても、大した快感がない
自分を満たすことをした瞬間、大した快感がない。
そんなことがしばしばあったからです。
稼げるマインドをインストールするための行動だそうです。
誰の気配も感じない家で、コーヒーをすすっているほうが、よほど幸せです。
駅や空港に出るまでがだるく、移動で身体に負担がかかり、混雑していれば周囲のうっとうしさまで加わります。
理想の働き方として語られていても、私にとってはしんどさの極みでした。
他人の価値観で埋めようとしていた
そう気づいたとき、「自分を満たす」という言葉の中身が、他人の価値観だったのではないかと感じました。
それを無意識に受け入れていた可能性があります。
不快がゼロになること自体が、快
不快をなくしてゼロにすること自体が、すでに「不快から快への変化」ではないか、ということです。
不快が消えた時点で、変化としての快はもう起きていると考えています。
引き算思考ではなく「凪の思考」
一般的な引き算思考との違い
手放してすっきりし、その結果の恩恵を受ける。
つまり、足し算が残っています。
私が感じているのは「ゼロ」
不快を減らし、無くして、ゼロにする。
波が立っていない状態、つまり「凪」です。
不快がないだけです。
しかし、それだけで十分に満ちています。
ブッダやショーペンハウアーの思想に近い
ショーペンハウアーは、幸福を苦痛のない状態として捉えました。
まとめ:快を足さなくても、凪は満ちている
足してみたからこそ、足さなくてもいいのかもしれないと思えたからです。
今は、不快をゼロにした先の凪を、しばらく味わってみるつもりです。
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