今回は、こちらのTikTokの内容をベースに書いています。
@aphrodite_kei 生きやすくなるためのノート術📒 断ることに必要以上に罪悪感を感じちゃうんだよね・・・。 #自己肯定感 #自己理解 #人生 #心理学 #自己否定 #ノート #ノート術 #感情 ♬ Easy On Me - アデル
断ることが苦手からの変化
先日、某百貨店で九州物産展が開催されていて、🥐さんと覗いてきました。
今回の物産展では、九州や沖縄の美味しい食材が売られていて、歩いている色んな所からお声がけいただき、いっぱい試食させてもらいました。
1つだけならまだしも、同じところで何種類も試食させてくれる場合もあったりで・・・
「こんなに試食させてもらったから、何か買わないと悪いかな・・・」
という罪悪感が襲ってきました(苦笑)
だけど、今回は罪悪感を感じつつも、何一つ買いませんでした。
前だったら、罪悪感を感じたくないから、何か買ってしまっていたと思うんですが・・・
確実に自分の中で変化が起きていました。
今回のように、ノートをやって自分の反応が変わっていることを認識するというのも立派な証拠集めになります。
つまり、ノートで自分をアップデートしているという体感を得て、モチベーションにもつながっていきます。
余談ですが、九州のもので今一番食べたいのはもつ鍋ですかね(笑)
今回の物産展でも出ていました。
試食で出してくれるのは嬉しかったんですが、冷めていて残念でした^^;
罪悪感を感じる原因
罪悪感を感じる原因は人それぞれだと思いますが、一般的には次のことだと考えられます。
- 何もしていないことに対して
- 助けられなかったことに対して
- 恵まれていることに対して
- 誰かを傷つけたことに対して
他にもあるとは思うんですが、私が感じる主要な罪悪感はこの4つです。
結局、自分を通す、自分を大切にする、自分を尊重するという類をやろうとすると、罪悪感を感じやすいんですよね・・・。
誰かを傷つけたくないし、嫌われたくないし・・・つまり、自分は悪者になりたくないですから。
子どもの時は許されていたのに、大きくなるにつれてどんどん制限が出てきて、何かを得るためには対価が必要だという考えになったりだとか。
特に日本人の気質は、”合わせる”が強いんだと思います。
合わせないと、空気が読めない、協調性がないと評価され、周りからよく思われないですからね。
でも、合わせることは自己防衛であり、自己満足です。
よくよく考えてみると、誰かに対して可哀そうと思っていたり、見下していたりするんです。
今回の物産展の話であれば、買わないと可哀そうと思っていたりだとか、タダで食べさせてもらうのはいけないことだとか、相手を傷つけたくないとかですね。
でも、突き詰めると、おかしいことに気付いてしまいます。
営業を受けていつも買うわけではないですよね。
例えば、スマホ料金の勧誘で、ティッシュだけもらって、適当に断って話を聴かないことなんてしょっちゅうですし。
今まで友だちとかからお菓子をもらって、逐一、お金を払ったのかという話ですし。
相手を傷つけたくないと言っても、別にこの売り子さんと今後も付き合うのかと言ったら、そんなことなくて。
今後一生会うかどうかなんて分からない人からも好かれようとしても無意味ですし。
とまぁ、色んなことに必要以上に罪悪感を感じすぎなんですよね(笑)
そして、逆の立場で考えてみると、営業で百発百中だなんて思っていないわけで・・・
こういう営業を受けて、断ることに罪悪感を感じなくてもいいんじゃないかなって思うわけです。
他人軸か自分軸か
誰かのために罪悪感を感じ続けるということは、ある意味、他人軸で生きているのではないかと思います。
断るのが苦手だと、他人からどんどん押し付けられます。
仕事とかまさにそうで、いいカモってやつですね。
他人は自分のことを案じているようで、大体、自分が望んでいる形で案じていません。
そして、断らない限り、わんこそばのごとく、どんどん追加を入れてきます。
他人のために頑張ったところで、同じように自分のためにしてくれるかというと、たいていそんなことはないと思います(笑)
見返りを求めている時点でどうなんだろうという話にもなってきますが・・・。
私も、他人のために頑張るということをどんどん辞めています。
大学卒業後はよく飲み会の幹事をやって、定期的に同窓会的なのをやっていたんですが・・・。
最近は全くやっていません。
私が声をかけないと開催されないので、私が頑張る必要があるのか・・・?ということに気付いてしまったんですよね。
そして、私は出身が関東で、おそらく、関西にこのまま骨をうずめると思いますが・・・。
コロナ明け以降、関東の人から飲みのお誘いを受けますが、ことごとく断っています。
飲みの数時間のために、関東まで出て、たくさんの出費をするのが嫌なんですよね。
そんなにお金をかけてまで会いたいかと考えると、答えはNO。
断るのが悪いと思って、自分の心の声を犠牲にしたところで、何一ついい結果が得られないと今は自信を持って言えるからです。
他人に悪いと思ったらキリがないので、もう、罪悪感を感じるのはどんどん減らしていこうと思います。
こういうのが自分軸で生きるなのか・・・?と思いつつ。