ノートを通して自己対話を始めた結果。

私が感じたことや気付いたこと、思っていることなど、”心”をメインテーマに色々と。

「どうせ私なんて・・・」が止められたのは。

以前の私は「どうせ私なんて・・・」が口癖でした。
つい、口走ってしまったり、思ってしまったりするセリフでしたꉂ(ˊᗜˋ*)

これが出るようになったのは、
「頑張ったのに、思うような結果が出ない」
ということが長年続いてしまい、心が折れてしまったからだと思います。

挫折しまくると、自分に対して無力、無能、ダメな人間だと思ってしまい。
それはとてつもない自己否定のオンパレードでしてw
その結果が、「どうせ私なんて・・・」という一言に凝縮されていました。

でも。
その頑張ってきたことは、結局のところ。
・見栄
・プライド
・他人の期待に応えるため
・恐怖や不安から逃げるため
という感じで、「自分がやりたい」ということではなく、「他人を意識してやった方がいいこと」ばかりでした。

ここでいう恐怖や不安も結局、他人の目を気にしたから感じたこと。
つまり、他人からお前はダメだという風に思われたくないという想いから、やるという選択を取っただけでした。

無意識に「他人にどう思われるか」を前提として考えてしまうのは・・・
幼少期の「しっかりしなさい」という母親の言葉が一番の原因です。
そのことは、今まで学んできた心理学の講座やセッションなどで薄々気付いてはいたんですけど・・・
正直なところ、原因に気付いただけでは根本的な解決には至りませんでした。

それは何故かと言うと・・・
ポンコツな自分を赦す”
もしくは、
ポンコツな自分を受け入れる”
ということがずっと出来なかったからです。

つまり、ネガティブな面も自分の一部だと認めることは悪だったからです。
そのネガティブな面は「しっかりしなさい」に反することであり、持っていてはいけないし、無くさなければいけないものだと思っていたからです。

でも。
どうやったって、そんなネガティブな面は無くなるわけではなく。
ないことにするために、見て見ぬふりだとか、感情に蓋をするということをしてきました。
そうやって、ネガティブな面という自分の一部を無視した結果。
自分の心が分からなくなってしまい、心の感度がとても鈍くなってしまいました。
自分に興味が持てず、自分の人生を半ば放棄したような状態と言っても過言ではないです。

つまり、自分が自分を見捨ててしまったんです。
いつも心はモヤモヤして、晴れることはありませんでした。

そんな時に出会ったのが、心を言語化することでした。
黙々と自分の心に向き合い、心を言語化していくという地味な作業を繰り返しました。

3週間くらい経つと、自然とネガティブな面も自分の一部と受け入れられるようになりました。
つまり、ポンコツな自分も自分だと赦せるようになり、気付いたら「どうせ私なんて・・・」と思わなくなりました。

長年、延々と続けていた自己否定を止めることが出来たので、心の言語化というすごいシンプルな作業の効果は絶大だなと思っております。

ただ今、心の言語化術のセッションをやっております。

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”マイルドな不幸”をこじらせたらどうなるか。

私が最初に”マイルドな不幸”という言葉を初めて知ったのは、2024年の4月のことでした。
とある方の無料セッションを受けたときに、私の現状を一言で表した言葉が”マイルドな不幸”でした。

”マイルドな不幸”にどっぷり浸ること、苦節10年ほどꉂ(ˊᗜˋ*)
私は、一体どういう状態だったかというと・・・
・心のどこかでずっとモヤモヤ
・何だか生きづらいと感じる
・つまらない人生と感じる
などなど。

マイルドという言葉通り、普段はそこまで深刻さがないから、モヤモヤしながらも対応をせずに放置をしてしまうんです。
ずーっとこの状態を続けていると、じわじわと状態が悪化していくんですよね・・・恐ろしいことに。

それが、”マイルドな不幸”をこじらせることです。

私の場合、定期的(数か月に1回くらいの頻度)に襲ってくる落ち込みや無気力状態が来るようになりました。
そうなると、休みの日は何も考えたくなくて、一日中布団に包まっていたり・・・。
所謂、廃人になっていました( ´ㅁ` ;)
そして、年々状況が悪化し、落ちる期間が長くなっていった気がします。

その状態がしばらく続くと流石にしんどすぎるので、そのときになってようやく重い腰を上げてセッションを受けに行ったりしました。
確かに、受けることでちょっとは気持ちがラクになった気もしました。

しかし、結局のところ。
根本的な原因を突き止めることが出来ていなかったので、また時が来たら、無気力状態に陥る・・・
と、その場しのぎという応急処置をしてもらっただけでした。

根本にテコ入れするには、
「自分の心と丁寧に向き合うこと」
しかないんですよね。

丁寧に向き合うと言っても、頭の中で繰り広げたところで、あまり効果がなくて。
私は、心の言語化をしてあげたことで、”脱・マイルドな不幸”の状態に持っていけました。

正直、最初は「こんなことをやって、本当にうまくいくの・・・?」と疑いながらやっておりましたけどw
長いこと苦しんでいた状況は確実に変わったという実感というか、確信が初めて得られました。

心理学やセラピーをたくさん学んできたけれど、私にとって心の言語化が一番効果的でした。

生きていれば、どうしてもモヤモヤが出てくるし、モヤモヤが出てこない状態になるのは無理ですが・・・。
でも、モヤモヤが出てきたら、ちゃんと自分と向き合って心を言語化するという術を覚えたので。
私は一体何にモヤモヤして、どうしたいのかというのを自分で見付け出せるようになりました。

今は、前まで定期的に襲ってきた落ち込みや無気力状態になることもなくなり、廃人にはなっていません。
急がば回れではないですけど、丁寧に自分と向き合う時間を取ることは本当に大事だと思います。

ただ今、心の言語化術のセッションをやっております。

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いつまでマイルドな不幸で満足しているの?”心の言語化術”

 

今回は、
【いつまでマイルドな不幸で満足しているの?”心の言語化術”】
についてのご紹介です。


⟡.·*.·········································································⟡.·*.

何となく生きにくい人生を変えたいと思い、心のことを学ぶことを決めた。
今までありとあらゆる心理学やセラピーの講座を受けたし、
スピリチュアルのセッションも受けてきた。
ワークやセッションを受けて、
そのときは解消したような気になるけれど、
またすぐに何とも言えない不快感の日常に戻ってしまうことの繰り返し。




お金を何百万円と使ってみたけれど、
変わった実感なんて無いに等しい。
「自分は何をやってもどうせ変わらない」と思って、とうとう諦めた。




ある日、知り合いに自分の今の状態を話したら、
「それは、マイルドな不幸だね」と言われた。
そう、別に、ものすごく人生に苦労しているわけではない。
可も不可もない、それなりの人生を生きているんだと思う。




だけど、気付けば
「何で私は生きているのだろう」
「何てつまらない人生なんだろう」
と頭の中でグルグルと考えている日々を過ごしている。

ドラマとかに出てきそうなひどい不幸ではないのに、
どうしてこんなにも生きづらいのかが分からない。




最近、笑った記憶がほとんどなくて、
感情が揺さぶられることもなく、
まるで無機質な世界に生きている感覚。
そもそも自分に興味がないし、
自分のことが好きじゃない。




だから当然、
自己肯定感は地を這っているし、
自己愛の欠片なんてない。
自己肯定感を上げる必要性は分かるけれど、
何をやっても上がらなくて、
とにかく苦しくてどうにかしたいのに、
効果的な方法が分からない。




自分を変えようと自己投資したにも関わらず、
望むような結果がちっとも得られない自分に疲れ果ててしまった。




「自分はどうせ何をやっても変われない」
と諦めていませんか?





これらは全て過去の私です。




自分の感情に蓋をしてしまい、
自分に対して嘘をずっとつき続けてきたので、
自分を大切にするということが全く出来ませんでした。
自分を大切にすることもなく、
自己肯定感の欠片もありませんでした。




気付いたら、
やりたいことが分からず、
やりたくないことすらも分からず、
自分の心に鈍感になってしまっていました。




そんな、自分は変われないと諦めていた私が、
心の言語化をしていくことで少しずつ自分という存在を理解し、
次のような変化を実感することが出来ました。




ネガティブな感情の自分の一部として認め、
自己肯定感が少しずつ上がっていき、
ポンコツな自分も自分と受け入れることが出来るようになりました。




心の言語化を積み重ねることで、
自分の思い込みや制限に気付き、
それを書き換えることが出来るようになったことで、
自分いじめをやめることが出来ました。




自然と自分に興味を持つことが出来るようになり、
自分の快やラクを求めることを赦し、
自分を喜ばせてあげる幸せを知りました。




では、
一体どうしたらこの「マイルドな不幸」から解放されるのか?




そんな方におすすめなのが
【いつまでマイルドな不幸で満足しているの?”心の言語化術”】
です。





これを学ぶことで
・自分の本音が分かる
・自分を赦すことができる
・自分の制限や不要な思い込みに気付ける
・自己肯定感が上がる
・自分を大切にできるようになる
・自分の感情に敏感になる
・行動のハードルを下げることができる
・不快や違和感を避け、快やラクを選べるようになる
などが出来るようになります。

いつまでマイルドな不幸で満足しているの?”心の言語化術”
◎期間:任意の3週間
◎サポート内容:
  オンラインセッション1回
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◎費用:¥27,000-
◎募集人数:5名様

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「好き」に関するあらゆる勘違いを紐解いていく。

前回の続き。

doubt-your-thoughts.hatenablog.jp

なんとなく好きかもと感じることや、セッションを受けて好きらしきものが見付かるのですが、やっても継続性が無い・・・

ということを何度も何度も繰り返している訳です。

もう、これは病気と言っても良いのではないかという話をしました。

 

「好き」って、すごく小さな時から知っている言葉なんですけど。

実は奥が深いし、感覚的過ぎたりだとか、好きに関する情報を取りすぎて、分かるようで分からなくなっている・・・という感覚です。

 

私の場合、ラーメンの人と言われるくらいラーメンが好きで、特に山岡家が大好きですけど。

(山岡家のカップ麺が発売されたという情報が٩(>ω<*)و)

・・・という、シンプルな好きもあれば。

一方で、自分のライフワークにもなり得るような好き・・・つまり好きなことという意味での好きもあるわけです。

 

特に後者に関しては、世の中に色んな情報が出ているお陰で、私は好きなことというのが分からないとなりがちだと思うんです。

ライフワーク的なのは、「何が何でも好き」「寝食忘れるくらい好き」「好きすぎて常にモチベーションを維持できる」みたいなものだとついつい思ってしまっていて。

これって、ものすごく好きに対してのハードルが高すぎますよねw

 

つまり。

対象によって好きのハードルがバラバラ過ぎるんですね。

ライフワーク的なのも、いずれは「趣味が高じて」的なものに成長いくのでしょうけど。

そもそものキッカケが、最初から情熱に溢れているものではないはずなんですよね。

 

生まれたときからラーメンが好きだったわけでもなく、ある日初めて食べたラーメンが思いのほか気に入って、何度も食べるうちに好物になったみたいな。

 

ライフワーク的なものも、最初は興味があるというものすごくライトな好きで良いはずなんですよね・・・。

そう考えると、私がノートを何だかんだで毎日書いていることも。

もっと前の心理学やセラピー、ヒーリングなどを学んでいたことも。

結局、自分という一番近い存在がよく分からないから、知りたいという想いが根底にあったんだろうなと思うのです。

自分を知る、自己理解というやつですね。

 

そうやって一つずつ丁寧に見ていくと。

他のこともやってみたけれど、長続きはしなかったんですよね。

自己理解関係は、カタチや手法は違えど、大きな枠で見たら続いていると言えば続いています。

 

ただ。

自己理解の手法、手段、メソッド自体に興味が全くないわけではないけれど。

それらを突き詰めるというよりも、「自分を知るためには?」を念頭に置いておかないと、迷子になってしまうんだと思います。

目的と手段をはき違えてはいけないみたいな感じですね。

 

 

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最早、これは一種の病ではないかと思う。

現状。
快と不快を見分けること・・・
正確には、不快を遠ざける、止める、拒絶するなど、自分が我慢しなくて良いという選択が出来るようになったわけですけど。

 

”やりたいことをやる”が、まだまだ私の中でどうもピンとこないんですね。
もしくは、”好きなことだけをやる”もそれに入るかと思います。

 

”やりたいこと”や”好きなこと”が分からないときは、”やりたくないことをやめる”ということをやると良いと言われてきて、解決できる範囲でやめてきました。
確かにそのお陰なのか、「あ、ちょっとやってみたいかも」と思うことも出たには出たんですけど・・・
私は、ミーハー気質なのか、飽き性なのか、勘違いしやすいのか、思い込みが激しいのか、やってみてなんか違うとなってしまうんですね。

 

ただ、行動してみないとそれは分からなかったことではあるので、得られるものが全くなかったとは思いません。
そして、前みたいに「一度、やるって決めたんだから、意思を曲げずに継続しよう」と意地を張ることもしなくなったので、やめるという選択が柔軟に取れるようにもなっているんですが・・・。
果たしてそれはいいことなのか?
諦めが早すぎるんじゃないのか・・・と思ったりもするんですが。
結局、継続した所で、しんどいにしかならないので、撤退は正解だと思います。

そんなこともあり・・・
「私はこれが得意」だとか、「私はこれが好き」というものがある人がとても羨ましいです。

 

得意は自分の中で当たり前に出来ていることが大半なので、他人から言われて気付くことが多いわけですが。
私の場合、言語化や文章力あたりは最近よく言われますが、言われるまで全然気付きませんでした。
確かに文章を書くのは苦ではないし、心の中で感じていることをノートを使って言語化するのも自分の中がクリアになっていくから心地よいとは思うんです。

 

だけど、好きかと言われると、胸を張って好きですとまでは言えないかなぁ・・・
というなんとも微妙な感じです。

 

では、好きなことは?と言われると、よく分からないんですよね。
なんとなく好きかもと感じることや、セッションを受けて好きらしきものが見付かるのですが、やっても継続性が無い・・・
ということを何度も何度も繰り返している訳です。
もう、これは病でしょうꉂ(ˊᗜˋ*)

 

冗談はさておき。
好きの言葉自体はシンプルだけど、好きの言葉の守備範囲が広すぎてしまい、根源の好きが見えなくなっているのかもしれませんね。
そして、当たり前すぎて、定義すら考えようとしていないとか。
感覚的過ぎて、言葉の裏側にある部分の言語化がちゃんと出来ていないとか。
その辺りな気がしています。

 

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成果とはいったい何なのか。

前回の続き。

doubt-your-thoughts.hatenablog.jp

 

前回の記事を要約すると・・・
「しんどい」の裏側にある自分独自の思考、定義、感性みたいなものを探るということをしていたわけなのですが。

 

私の場合、しんどいの裏側には・・・

行動量が必要、つまり、頑張らないといけない。
だけど、頑張るのはしんどい、つらいと思っている。
だから、行動が億劫になる。
でも、行動しないと成果が出ない。

と無限ループをしていたわけです。

この無限ループ内を一つ一つ見ていこうと思うのですけれども。

 

1.”行動量が必要”に関して

量とは、一体どれほど必要なのか。
そもそも数なのか時間なのか・・・単位が明確でないため、とてつもなくぼんやりしているわけです。
そして、基準がないと、評価しようがないわけです。
逆に、この行動量は基準値を設ければ必ずしも結果が出るのか?という問いに対し、100%そうだとは言い切れないわけです。
(量だけで結果が決まるわけではないから)

 

したがって、《行動量》というのは幻想と言ってもいいのではないかと。
達成感とか充実感とかを感じるために必要な要素なだけで、量に意味があるというより、行動自体に意味があると考えた方が気がラクなんですよ。

 

行動したという事実だけを考えるならば、たとえ行動が1つだったとしても、行動したことになるわけです。
量で判断するより、ただ行動をしたかどうかの事実だけで判断した方が、どれだけハードルが低くなるか明らかだと思います。

 

2.頑張るはしんどい、つらいに関して

これは、私の中で頑張ることが楽しいと思うための要素が少なすぎてですね・・・
定義し直すのは不可能に近いですꉂ(ˊᗜˋ*)
よってスルー。

 

3.行動が億劫になるに関して

2の状態で必然的に億劫になるので・・・
これも2が存在する限り、定義し直すことが不可能です。
よってスルー。

 

4.行動しないと成果が出ないに関して

これは1と関連がありますが・・・。
量という概念は、何かと多い方が良いだったり、成果があるだったりと考えてしまうのが自然ではないでしょうか。
つまり、行動量が必要という考えは、行動の量が多ければ多い方がいいという定義が存在し、それが成果と結びついてしまっているということです。

 

先程、1で行動量は幻想で、行動したかどうかの事実だけで判断すると定義したのですが・・・
この4の成果も、言葉の裏側で自分がどのように定義しているのかを丁寧に見ていく必要があります。

 

成果とはいったい何なのか?

あることをして得られたよい結果

Weblio辞書

類義語として、結実、賜物など。

 

私が「成果」の裏で結び付けているのは、形になったりだとか目に見える結果、つまり、実りであり、セッションをしたり、それで稼げている状態だったりします。
この「成果」の定義は、とてつもなくハードルが高いのはもちろんなのですが・・・

 

実は、自分の快楽とも一致していないんですね。
どういうことかというと・・・
量をこなすことがしんどいと言っているのに、量がないと成果が生まれないと定義している訳です。

 

だから、”量をこなさなくても(頑張らなくても)成果を得ていい”という風に変えてあげないと、いつまで経っても自分の中で矛盾してしまい、雁字搦めになってしまうということです。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものでしょうね。

 

成果は、何をしても成果としていいと定義していいのではないかと。
投稿に限らず、誰かの投稿を読んだりだとか、誰かにいいねしたりだとか。
全て、0→1となっていて、何かしらの成果を得ています。

 

今回は、しんどいから掘り下げて、たまたまSNSの投稿に関する行動量がという流れになりましたけど。
それだと、すごく狭い範囲の成果の定義になってしまうし、応用が利かなくなってしまうので・・・
成果全般の自分の定義を改めておいた方が、後々ラクだと思います。

 

それを踏まえた私の中の成果という定義は、0→1のアクションをすれば得られるということにしようと思います。

ノートを書くこと
読書をすること
動画を見ること
もっと生きる上での基本的なことさえも・・・
食事をすること
寝ること

という感じで、この定義ならば、最早、生きていることだけで成果にしちゃっていいと思います。

 

しんどいから、ものすごく奥深くなってしまいましたが・・・(;・∀・)

 

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負の形容詞の裏側にある感性を分析する。

この2週間、ずっととある問題が滞っていて、ずっとしんどいという状態が続いていたんですけど・・・
やぁぁぁぁぁぁぁっと解放されましたーーー«٩(*´∀` *)۶»

 

私自身が、コントロールできる問題であればまだ良かったのですが・・・(-ω-;)

 

さて。
この「しんどい」という言葉。
負のニュアンスの形容詞ですけど。

辞書的な意味は、

肉体的精神的な負担感じ、その負担長く続くのはいやだと感じられるさま。

Weblio辞書

類義語として、つらい、きつい
という感じで、一般的な意味はあるんですが。

 

こういった言葉の共通認識以外に、言葉の裏側にある、自分独自の意味付けがあるんですよね。
つまり、自分の経験や誰かから教えてもらったことによって結びつけてしまったものがあるんです。
そういうのを丁寧に見ていくことで、自分の思考回路が分かるというか。
自分の理想の状態に持っていけない原因が見えてくるというか。

 

今回は、「しんどい」を使って、ノートを用いた心の言語化の具体例を書いていこうと思います。

 

最初は、冒頭で書いた問題から解放されずしんどかったんですが・・・
この「しんどい」が私のあらゆる面に伝播してしまいまして。
最後の数日は、日常生活やSNSでの投稿でさえも、「しんどい」となってしまいました。

 

「しんどい」と一言で表現しておりますが、「しんどい」と感じている対象が違うわけです。

1つ目は、問題に対して。
2つ目は、日常生活に対して。
3つ目は、SNSでの投稿に対して。

言葉によって大まかな情報は示せているんですけど、感性的な表現が出ていないとでも言えばいいんですかね。

 

私の感覚でいくと、それぞれの「しんどい」の裏側に結び付けているものは・・・

・問題に対しては、解決できないつらさ
・日常生活に対しては、やる気が全く起きない
SNSでの投稿に対しては、行動量が必要なのにそれが出来ない

だったりします。

 

この3つは関連しているし、きっかけは1つ目の問題解決が出来ないつらさからなんですが・・・。
今回、特に見ていかないといけないのは、

”自分がやりたいと思っていることに対し、うまく行動出来ない”

という部分です。

 

今回の場合は、《行動量が必要なのにそれが出来ない》という部分。

 

実は、きっかけは違えど、何度も同じことを繰り返していたりするんですね・・・。
自分が「しんどい」に結び付けてしまっている裏側の意味、もしくは定義の部分を丁寧に見ていきます。

 

行動量が必要、つまり、頑張らないといけない。
だけど、頑張るのはしんどい、つらいと思っている。
だから、行動が億劫になる。
でも、行動しないと成果が出ない。

 

結果、「しんどい」の裏側でこの結び付けのお陰で延々と無限ループしちゃっているんですねꉂ(ˊᗜˋ*)
動きたくても動けなくなってしまうのは、この無限ループがあるからなんです。

 

次にやることは、一つ一つ真実かと疑っていき、言葉を変えていくことなんですけど・・・。
長くなってしまったので、それはまた次回☆

 

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